資産形成を始めると、”自分の残り時間”を強く意識するようになる。お金を貯めたところで人生終わったんじゃしょうがない。使うところまでが資産形成なのだ。自分に残り時間があるといえば、親にだって残り時間がある。親との時間はどんどん少なくなっていると思うと、意識して時間を作らなきゃと、親孝行する時間を設定している。
半年に一度の食事会
当家では半年に一度、親を招いての食事会を行うようにしている。忘れないように、ささやかながらボーナスが出た月に開催している。食事会を開くのはお金がかかる。だがここは、お金の使いどころである。特に節約など考えず、食べたいもの飲みたいものを用意して振舞うようにしている。
親と何を食べようか、というのはいつも悩むポイントになる。親は潤沢な年金を貰っているはずだからお金には苦労していないと思われるので、お金を使って食べられるものはそれほど嬉しくはないのかなと想像する。何かこう、新しさとか、珍しさみたいな要素が入れられれば十分であろう。妻はその点、創意工夫を凝らしてくれる。
一番大事なのは孫の顔を見せて、会話に入れて(入らないけど)、成長の様子を見せてあげる事だと思う。一族の将来は安泰…ではなさそうだが(笑)。その話はまた別に。
親への感謝はしきれない
資産形成を始める前は、親孝行は思いついたとき、程度の頻度だったと思う。これはまた逆説的な話で、お金にだらしなかった時なのにお金を使う食事会は開いていなかったと思う。親孝行はいつでもできる。時間はまだまだあるのだから。そういう感覚だったかもしれない。
ただこの節約生活を始めると、以下のことを痛感することになる。
- 自分が就職するまでにかかった親のお金
- 親は既に、老いている
- 自分も既に、若くない
自分がFIREだとか言ってお金を貯め始めているわけだが、その自分に親は一体いくらのお金をかけてくれたのか。そのおかげで今の会社、給料を得ていると思うと親には感謝でしかない。
大学に一人暮らしで通って奨学金なし。全て費用は出してくれた。全然、お金たまらなかった事だろう。お前金かかるわーと、面と向かって言われた記憶もある(笑)。単純計算で、大学時代の私には1000万円以上かかっている。
当時はそれが当たり前と思っていた、なんと馬鹿な事だろう。かけてくれたお金の実感は全然なかった。ああ、もっとちゃんと勉強すればよかった。
子供が生まれた後は、孫の面倒を良く見てくれるじいちゃんばあちゃんである。当然の権利のように、ヨロシク!と子供を預けたこと数知らず。
そんな不肖息子に仕送りしてくれた親ももう引退し、先は長くないはずだ。感謝の気持ちは、今のうちに伝えなくてはいけない。40を超えた私だって、持病があったりするのだから、なおさらである。
親孝行は照れくさい
とはいえ、面と向かって今までありがとうなどと言えるはずもない。そんなのはどう転んでも無理である。それで結局、食事会という形をとることになるのだが、それくらいで良いのだろう。私の気持ちは伝わっている・・・はずだ(笑)
言い訳ではないが、自分が親になってみると、子供が外で立派に働いて・結婚くらいしてくれたらそれで親側としてはもう充分である。子供から感謝などされなくとも、親としての自分は子供を誇りに思うだろう。だから私も、そんなに親孝行と気負う必要はないかもな、とは思うけど。そんなわけで、半年に一度の食事会をセッティングしているのであった。
ただ、こんな悠長なことを言っているのも、私はまだ子供の大学費用を払ってないからもしれない。いざ学費を払うとなったら、また心境が変わるだろう。
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