資産形成で忘れる牛肉の味

長い間節約生活が続くと、いつの間にか忘れてしまうことがある。多くは日々の浪費に関するものだ。今日は、自分でも驚いた食についての記録を残しておきたい。

我が家の食卓

当家では日々の家計支出については妻が管理してくれている。日々の家計支出というと、主に食費である。当然のことながら、コンビニ弁当や自販機のジュースなどは買わず、家で何かを作ることになる。

基本的には、買い出しや日々の料理は妻が行ってくれる。節約をしながら満足感のある食事を毎日考えるのはきっと大変なはずで、感謝の毎日である。

節約しながら子育てをする、となるとメニューは大幅に変わっていくことになる。

その中でも最たるものが、”牛肉”である。

全く、牛肉を食べなくなった。理由は、高いからに尽きる。殆どが鳥肉か豚肉であり、牛肉は高根の花となってしまった。

すき焼も、肉じゃがも、ビーフシチュー(?)も、豚肉である。

ただ意外と、これらを豚や鳥肉で作ってみても、おいしいものである。特にひもじさのようなものは感じていないのでお勧めである。

ただ個人的には、半生の肉を食べたい…と思うことはある。豚や鳥では、ちょっとできない(泣)

数年ぶりに食べた牛肉の味

先日、お正月料理に煮物を作るかどうか?の話になった。いかにも正月料理みたいな。しかし当家の子供たちは偏食が強いため煮物はあまり食べないので、全く別のものを作ることにした。

それが、牛肉の入ったビーフシチュー(!)である。

正月くらい、少し贅沢してみよう。考えてみれば、牛肉を食べるのは4年ぶりくらいかもしれない。ここ数年、家でも出先でも、牛肉を食べた記憶がない。妻は、安い牛すじ肉を探してくれ、牛肉のビーフシチューを作ってくれた。

…もう、作っている最中の匂いから違う。何かこう、獣の匂いがする。狩猟本能みたいなものを掻き立てる匂いだ。早く、食べたい。いや、俺に食わせろ。それを寄越せ。俺の獲物だ。そして、食べたときの衝撃。おいしいという感覚を通り超えた、脳味噌に染みる味。もう、食べる手が止まらない。

こんな贅沢がこの世にあったとは。

幸せは相対的なもの

資産形成前は、当たり前のように月1程度で家で焼き肉をしていた。もちろん牛肉付きだ。でも、そのたびにこの至福の感覚を味わえた訳ではなかったと思う。

やはり、人間は慣れる生き物なのであろう。お金を使い続けたって、慣れてしまって幸せにはならないのだ。

牛肉を縛ったところで、現代人はとても恵まれた生活をしている。寝食に困らなければそれで十分に幸せなのだ、ということを改めて実感した。

牛肉は、極まれに食べるものとして、我が家のイベントに加わった。

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