資産形成を始めた頃の目標はもちろん、FIREである。つまり、会社を辞めるということが動機であった。だが資産形成を続けていくうちに、この目標はあまりに極端で短絡的な思考だと気づいた。どうしてこういう思いに至ったのか。それを少し記録しておきたい。
休みが待ち遠しい=会社は嫌だ?
土日、祝日、お盆や正月の連休。普通の会社なら年間120日程度の休日があると思われる。3日に一度は休んでいる計算だ。
毎週、週末は楽しみだし、祝日は得した気になる。盆や正月の前はソワソワしだす。いざ、休みになれば自分を取り戻したかのように遊びだし、テンションが高まり、休日を謳歌する。それが会社員人生というものであろう。
休日が本当の自分であるならば、平日の自分は何なのであろうか。会社に縛られた、社畜・・・という言葉が耳をよぎる。会社というのは偽りの自分を演じる場なのだろうか。理不尽な要求に応え、不道徳な説教も我慢する、非合理な会議にも嫌な顔をしない。
そんな時間を長く過ごせば、会社に行きたくない=休みがもっと欲しい、という思考に行きつくのはごく自然な事であろう。
休み=楽しい=充実?
では、土日にどんなことをして過ごそうか?
貯まっていたゲームをこなしたり、昼間からビールを飲んだり、平日にはできないことが沢山ある。もちろん、子供の相手や、家事の一部をすることもある。
土日を謳歌していれば、時間はあっという間に過ぎていく。
最近、この土日はどんな週末だっただろう?と日曜日の夜に考えることが増えた。それは少しずつ将来の自分を考える時間が増えたかもしれない。FIREするにしても、しないにしても、60歳以降は働くつもりはないから、遅くとも20年も経てば「毎日が日曜日」になるのだ。
そうすると、日曜日の夜には自己嫌悪に陥ることがある。ただゲームをして、酒を飲んで、子供と戯れて終わった日は、特にそうだ。もちろん、そんな週末にも一定の価値はあろう。平日の悩みを忘れ、家族との絆を深める。それも大事な週末だし、楽しく過ごせている。
でも、それだけでは何かこう、しっくりこない。1年後に今日という日を思い出すことはできるだろうか?今日という日を一生懸命生きたのだろうか。と思うとちょっと違う。将来、こんな日を毎日過ごすことになるのだろうか、と思うとそれでは満足な人生とは言えない感覚がある。
オフの楽しさは相対的なもの
今の週末の”楽しさ”と、その違和感については、自分の中で少し整理がついている。
「オン」があるから「オフ」がある、ということに尽きる。仕事をオンとすれば、休日がオフである。その相対的な差が激しいから、オフなだけで楽しい状態になる。充実したような気になってしまうのだ。
ということは将来、オンが無くなったり軽くなった時に、オフを楽しめるのだろうか?おそらく、楽しめないはずだ。平坦な一日の連続だとしたら、その一日の価値はどんどん薄まっていくはずだ。
だから最近では、私の資産形成の目標を「会社を辞める」とは置いていない。こんな状態を目指したい。
- 別に会社を辞めなくてもいいし、辞めたかったら辞めてもいい
- もし自分の裁量で自由にできる仕事を見つけたとき、躊躇なく飛び込めるようにする
- 会社と家庭以外の、自己表現の場を充実させる
辞める事自体を求めるのではなく、自由度の高さと自身の成長を求めている。意識高い系に見えるかもしれないが、本当の意識高い人はこれを若いころから考えているものである。
私の場合は、「怠惰を求めて勤勉に行き着く」といったところかもしれない。
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